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開催地紹介

  • Last Modified: 2017年12月21日 12:33

◆2017年度 第7回 開催地

石川県白山市鶴来地区

◆地勢

 白山市は、県都金沢市の南西部に位置しています。白山国立公園や、県内最大の流域を誇る一級河川手取川、白砂青松の日本海など、山・川・海の豊かな自然に恵まれた地域であり、海岸部から山間部まで、およそ2,700mの標高差があります。

 総面積は754.93km2であり、石川県全域の18%を占め、県内最大の広さです。
 また、地目別面積は、「宅地」が2.4%、「経営耕地」が5.8%、「林野」が73.5%となっており、全国でも降水量・降雪量の多い地域に属しています。

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平成17年2月1日、1市2町5村(松任市、美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、
 尾口村、白峰村)の合併により誕生しました。

◆白山開山1300年

富士山、立山とならび「日本三名山」の一つに数えられる白山。
 古くから人々が仰ぎ見て、祈りをささげてきた"霊峰"に、越前の僧・泰澄(たいちょう)が初めて登ったのが、養老元年(西暦717年)のことでした。 9世紀になると、加賀・越前・美濃(現在の石川県・福井県・岐阜県)のそれぞれに馬場(ばんば)と呼ばれる登拝の拠点ができ、そこからの登山道が「禅定道(ぜんじょうどう)」として整備されるようになりました。

それから白山は、神と仏が共存する修験の場として栄えます。
 加賀馬場の白山本宮(現在の白山比咩神社)、越前馬場の平泉寺(現・平泉寺白山神社)、美濃馬場の白山中宮長滝寺(現・長滝白山神社、長瀧寺)の三馬場を拠点に、日本全国に白山信仰が広がって行きました。 加賀馬場の白山本宮は、明治以来、全国約3千社の白山神社の総本宮・白山比咩(しらやまひめ)神社として崇敬を集めています。

明治になると、時の政府によって出された神仏分離令により、神と仏、神社と寺院がはっきり分かれることになり、続く廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の風潮の中で、白山にあまた祀られていた仏像は、ことごとく廃されることになりました。 千年以上続いた神仏習合の歴史はこのとき終わりを告げましたが、白山麓の村人たちは、山から下すことができた数体の仏像を、現在まで静かに守り続けています。

明治以降の白山は、信仰の山としてだけでなく、美しい自然を楽しむことができる山として、多くの登山者に愛されてきました。 高山帯を持つ山としては日本最西端に位置するため、生物分布を研究する上でも重要です。
 特に、色とりどりの高山植物が咲く「お花畑」の存在は、白山が"雲上の楽園"とも呼ばれるゆえんとなっています。

このように、深い信仰の歴史を秘め、厳しくも美しい自然の中に私たちを迎えてくれる白山は、平成29年(2017年)、
 泰澄大師の開山から1300年の時を迎えます。

 

 

 

 

 

◆2016年度 第6回 開催地

岐阜県高山市及び丹生川町

◆地勢

 高山市は、昭和11年に市制が施行され、平成17年には周辺の9町村と合併し、飛騨地方の中心都市として発展してきました。 面積は、東京都とほぼ同じ2、177.61k㎡(東西に約81km、南北に約55km)と日本一広大な都市です。面積の約9割を 森林が占め、山や川、渓谷、峠などで地理的に分断され、標高差も2、700mを超えるなど、地形的に大きな変化に富んでいます。
 今回の小水力発電アイデアコンテストの開催地となっている高山市丹生川町は、高冷地野菜を中心とする農業が盛んな地域で、河岸 段丘の上に集落があり、いくつもの農業用水が流れていることから、小水力発電に適した環境が整っています。

◆「自然エネルギー利用日本一の都市」を目指して

 高山市では、市民誰もが身近で豊かな自然を利用し、自然エネルギーの利用による暮らしの豊かさを実感できる「自然エネルギー 利用日本一の都市」を目指しています。

目標値として、市民1人当たり約1MWh/年を創出することとしており、それを達成する ため地域住民が取り組む小水力発電を初めとする自然エネルギーの活用を支援しています。

 今回開催される小水力発電アイデアコンテストをきっかけに市民の自然エネルギーへの認識や理解、普及などに繋がっていくことを期待しています。

 

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◆2015年度 第5回 開催地

富山県南砺市の紹介

◆地勢

南砺市は、平成16年に城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福野町と福光町が合併して誕生。富山県の南西部に位置し、北部は砺波市と小矢部市、東部は富山市、西部は石川県金沢市と白山市、南部は1,000メートルから1,800メートル級の山岳を経て岐阜県飛騨市や白川村と隣接しています。
  面積は668.86平方キロメートル(東西約26キロメートル、南北約39キロメートル)で、そのうち約8割が白山国立公園等を含む森林であるほか、岐阜県境に連なる山々に源を発して庄川や小矢部川の急流河川が北流するなど、豊かな自然に恵まれています。
 平野部は水田地帯の中に美しい「散居村」の風景が広がり、春先の強風や台風、冬の雪、夏の暑い日差しを遮るため、「カイニョ」と呼ばれる特有の屋敷林で家屋を守っています。

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 ◆南砺市エコビレッジ構想モデル地域
 南砺市は平成25年度に「南砺市エコビレッジ構想」を策定し、国内の自治体としては初めて「エコビレッジ」を推進する先進的な取り組みを行なっています。「南砺市エコビレッジ構想」では、これまでの「経済発展と効率化」のまちづくりから 「自然との共生と循環」のまちづくりへの転換による地域の再生を目指しており、再生可能エネルギーの活用をはじめ、農林業、商工観光業との連携、健康福祉、教育、ソーシャルビジネス、懐かしい暮らし方の提唱など、総合的な取組を推進しています。
 今回の小水力発電設置候補地である桜ヶ池周辺は、「南砺市エコビレッジ構想」のモデル地域であり、学生のアイデアによる小水力発電設置や地域課題の発見・解決は、まさにエコビレッジによる地域づくりの手法といえます。

 

 

 

 

◆2014年度 第4回 開催地

愛知県豊田市旭地区の紹介

◆地勢

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 豊田市は愛知県のほぼ中央に位置し、愛知県全体の17.8%を占める広大な面積を持つまちです。全国有数の製造品出荷額を誇る「クルマのまち」として知られ、世界をリードするものづくり中枢都市としての顔を持つ一方、市域のおよそ7割を占める豊かな森林、市域を貫く矢作川、季節の野菜や果物を実らせる田園が広がる、恵み多き緑のまちとしての顔を併せ持っています。

 2005年4月に旧豊田市、藤岡町 小原村 下山村 足助町 旭町 稲武町が合併し現在の豊田市となりました。

・人口 419,857人(2014年5月1日)

・面積 918.47km2

 旭地区は豊田市の北東部矢作川上流域に位置し、北は岐阜県恵那市、東は稲武地区、西は小原地区、南は足助地区に接しています。

 地区の北東から南西に向かって流れる矢作川を本流に、段戸川、阿摺川、介木川、明智川等の支流が変化に富んだ地形を造り出しています。地区内には良質の鉱泉が豊富に湧出し、笹戸温泉、小渡温泉、榊野温泉と3カ所ある温泉地は古くから湯治客に親しまれ、近年では観光の拠点として家族連れなどに利用されています。

 矢作渓谷一体は、昭和38年9月に加茂県立公園n認定され、その後昭和44年3月に奥矢作自然公園に指定、更に昭和45年12月には愛知高原国定公園に指定されています。

 地区内の標高は約100mから867.5mで、最高地は牛地町駒山です。地区面積は82.16km2で、豊田市域の8.9%を占めています。また、森林面積が地区面積の約82%を占めています。

        ・・・・旭あれこれガイドブックから引用

 

地区紹介リンク

 旭観光協会 http://www.kankou-asahi.toyota.aichi.jp/

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◆2013年度 第3回 開催地

福井県鯖江市の紹介

◆地勢

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 鯖江市は福井県のほぼ中央に位置し、北は福井市、南は越前市に隣接しています。東西約18.6㎞、南北約8.4㎞にわたる地域のうち、その多くが平坦地であり、東部および南西の一部が山地となっています。

 市の中央を低い丘陵が南北に細長く延び、これに沿って市街地が形成されています。南北に幹線が3本縦断しており、この丘陵に沿って両側に国道8号線と西縦貫線、東側を北陸自動車道、JR北陸本線が走り、また日野川が北方に向かって流れ、潤いある生活と経済活動の中心となっています。

 人口は平成25年7月現在で、68,967人、22,494世帯です。

 

◆産業

 鯖江は、昔からものづくりが盛んなまちで、日本一のシェアを誇るめがねをはじめ、業務用漆器の国内シェア8割を占める越前漆器、繊維王国といわれる福井の中心的位置を占める繊維など、日本有数の技術を誇る産業都市です。

 ◆歴史

 「鯖江」という地名の由来については、種々の伝説が語り継がれており、古くは崇神天皇の御代にまでさかのぼります。北陸地方平定のために四道将軍の一人として孝元天皇の皇太子昆古命(大彦命)が遣わされました。

 命が現在の深江あたりで大変難渋しているところへ、舟をこぎ寄せてきた老翁があり、「我この深江の郷に住む住民の頭目で、阿伊奴彦と申す者なり。この事情に詳しければご協力申し上げる」と命の軍船を案内します。命は王山(元鯖江高校のあるあたり)に陣を置き、賊を平定しました。そして、この戦の時「虚空から佐婆矢落下し、敵魁師に当たり死す」と明治時代の地誌書に記録されています。この矢が鯖の尾に似ていたことから、この地を鯖矢と呼ぶようになったと伝えられています。また、一説には鯖矢の「鯖」と深江の「江」を取って鯖江としたとも言われています。

 

◆鯖江市の見所

     鯖江市のCM

 

 

 

◆2012年度 第2回 開催地

三重県いなべ市の紹介

◆地勢

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 いなべ市は、三重県の最北端に位置し、岐阜県、滋賀県に接しています。市の中央を員弁川が流れ、西の鈴鹿山脈、北の養老山系に囲まれ、自然豊かな地域です。

 2003年に平成の大合併により、員弁郡の員弁町、大安町、北勢町、藤原町の合併により発足しました。

◆歴史 

  肥沃な大地と、こんこんと湧き出る清水に恵まれて、市内では縄文時代から人々が生活を営んできました。その痕跡は、遺跡やさまざまな文化財となって残っています。
岡古墳や麻積塚古墳をはじめとした古墳、金井城や田辺城といった中世の城跡は、当時の様子をそのままに思い描くことができます。そのほか、東大寺を造るための大工として、猪名部氏が登用されたことを記した『日本書紀』や郷土の先賢春澄も撰修に加わった『続日本後紀』にも見ることができます。また『大安寺伽藍縁起竝流記資材帳』には、員弁郡の600町歩という土地が大安寺の荘園として施入されたことが記されています。

◆人口

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 いなべ市の人口は45,684人、15,972世帯(平成22年国勢調査)です。

◆いなべ市の産業

 いなべ市は、東海圏、関西圏へのアクセス等、恵まれた立地条件により、企業の生産拠点や物流拠点が進出しています。今後は四日市市、大垣市、岐阜市、名古屋市、瀬戸市、豊田市などの諸都市を結ぶ東海環状自動車道や、第二名神高速道路の開通により、新たな企業進出・誘致や産業の育成が期待されています。

現在、いなべ市内の主な企業は以下のとおりです。

  ・きもと株式会社 三重工場
  ・株式会社神戸製鋼所 大安工場
  ・太平洋セメント株式会社 藤原工場
  ・株式会社デンソー 大安製作所
  ・トヨタ車体株式会社 いなべ工場
  ・トヨタ紡織株式会社 いなべ工場
  ・株式会社 通販物流サービス 三重大型商品配送センター

 

◆いなべ市の見所

   いなべ市観光協会 → http://www.kanko-inabe.jp/

   


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◆2011年度 第1回 開催地

岐阜県郡上市(美並町)の紹介

◆地勢

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 郡上市は、日本そして、岐阜県のほぼ中央部に位置し、東部は下呂市に接し、北部は高山市、西部は関市、福井県大野市に、南部は、美濃市、関市に接しています。

  また、郡上市の地勢は、最低海抜地の美並町木尾が110m、最高海抜地が白鳥町銚子ヶ峰の1,810mと高低差が大きく、長良川源流部にあたる高鷲町の大日山麓一帯にはひるがの高原、上野紅顔が明宝水沢上一帯にはめいほう高原が広がっており、雄大な自然に囲まれたロケーションとなっています。

 さらに、長良川をはじめとして和良川、石徹白川、粥川などの一級河川が24本あり、山林の高い水源涵養能力によって、美しく豊かな水の恵まれています。

 美並町は、郡上市南端に位置し、南を関市に接しています。長良川が町中央部を、西部を長良川の支川である粥川が流れています。

  

◆歴史

→先史時代 

 郡上地域において、発見採取された最も古い石器類は主として「有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)」です。旧石器時代末から縄文時代草創期にかけてのもので、これは槍の穂先に使用されたと考えられています。縄文時代の遺跡分布は前期が少なく、中期になると爆発的に増加し、後晩期には激減しています。これは当時の気候変化との関連があるといわれています。弥生時代の遺物は少ないのですが、その分布から流入経路は尾張方面から長良川を遡ったものと、飛騨川水系の馬瀬川や和良川に沿って遡った二つの道が考えられています。

→古墳時代

 郡上地域の古墳分布は、長良川沿いの主要な支流の各合流点に群をなして存在しています。これらは、古代の交通や軍事の要所として、それにかかわる役目をもった人が配置されていたことを物語るものと考えられています。これら古墳群の内で最も古いものは6世紀中期頃のもので6基確認されています。history2.gif
 白山連峰(2,702m)は石川・福井・岐阜県境にまたがり、その各山麓には養老元年(717)に泰澄大師によって創建されたという伝承を持つ三馬場(信仰拠所)があります。岐阜県側の美濃馬場(白鳥町)には石徹白中居神社・長瀧寺があります。長瀧寺は天長5年(828)には天台宗に改め、中世には天台別院の大寺となり広大な荘園を持ち、白山信仰の拠点として大いに栄えました。
 その最盛は「奥美濃の正倉院」と称される多くの文化財や花奪いや延年に象徴される六日祭りによってうかがわれます。

→中世(鎌倉・室町・戦国時代)

 鎌倉時代承久2年(1221)承久の変の結果、鎌倉幕府御家人の東胤行が、郡上郡山田荘の新補地頭に任ぜられました。東氏は阿千葉城・篠脇城(大和町)を築き、一四世紀の九代領主益之の時代には、将軍家に仕えるとともに郡上郡一帯に勢力を拡めました。戦国時代に入ると、美濃の斉藤氏や越前の朝倉氏の侵攻をうけ、城を八幡東殿山へ移しました。東氏代々は、五山文学の禅僧を輩出し、勅撰和歌集に名を連ねるなど文化に優れ、特に東常縁は宗祇への古今伝授によって有名であり、宗祇水(八幡町)の古蹟が残っています。

→近世(江戸時代)

 戦国時代末期、永禄2年(1559)東氏の支族遠藤盛数が東氏を滅ぼし、八幡城を築きました。その子慶隆は戦国大名として信長・秀吉・家康に従い全国を転戦し、城下町の基を築きました。その後城主は稲葉氏・遠藤氏・井上氏・金森氏と続き、宝暦4年(1754)金森頼錦の時、幕閣重臣や藩主改易をひきおこす四年間にわたる宝暦騒動が起きました。この歴史事件は最近「郡上一揆」として映画化されました。 この後青山氏が入部し幕末まで続きました。このころから郡上踊りなど町民文化が燗熟しました。明治維新時には、凌霜隊などの悲劇事件などがおきました。

→近代(明治・大正・昭和時代)

  明治4年(1871)廃藩置県により旧村は郡上県となりましたが、その後岐阜県に編入されました。
 明治12年(1879)に郡治分割が施かれ、11町88ヶ村として郡上郡役所が八幡町に設置。明治21年(1888)町村制が施行され、郡上郡は1町16ヶ村となり、明治30年(1897)には郡上郡会が成立しました。
 戦後、昭和29年(1954)町村合併促進法施行により、郡上郡は八幡町・大和町(昭和60年町制)・白鳥町・高鷲村・美並村・明方村(平成4年度明宝村)・和良村となりました。また、昭和33年には、福井県の石徹白村が白鳥町と越県合併をしました。そして、この7ヶ町村が、平成16年(2004)3月1日に合併し郡上市が誕生しました。

 

◆人口

 郡上市の総人口は46,716人(平成22年4月1日現在)で、平成17年の国勢調査によると47,495人であり、昭和60年の人口52,125人と比較すると、20年間で約4,600人(約8.9%)減少しており、平成12年からの5年間では約1,900人(約3.8%)の減少がみられます。

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◆気候

  郡上市は太平洋からも日本海からも離れた内陸にあって、北の端を位山分水嶺が走っているので、気候分類的には、やや表日本型の傾向にあると考えられます。郡上市は北から南まで約52kmあり、北では雪が2メートルも積もっているのに南ではほとんど雪がないといった多様性があります。

 

◆面積

 郡上市の面積は、全体で1030.79km2(八幡地域242.31km2、大和地域152.48km2、白鳥地域197.43km2、高鷲地域103.71km2、美並地域79.81km2、明宝地域154.86km2、和良地域100.19km2)あり、岐阜県の面積の約10%となっています。


◆郡上市の見所 

  郡上市には文化、歴史、自然に培われた見所がたくさんあります。

  ●観光情報サイト  郡上観光どっと混む http://www.gujokankou.com/index.php

 

◆美並町の紹介   

  ●美並観光協会  http://www.minami-kanko.com/

 


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